まなざし18号
2007年10月発行
◇巻頭言
「共に歩んでくださる私の神」
委員長 内田章二
あまりにも有名なョハネ福音書9章の言葉に注目しています。ここで私達は一つの
大切な神様の語りかけを聞くことが出来ます。それは言うまでも無く、「因果応報」
という洋の東西問わず息づいてきた古い考え方に対するイエスの挑戦です。とは言
え、イエスと弟子とのやり取りを聞く限り、彼らはただ単に「だれのせいなんだ!」
という世界にとどまっていたのであり、目の不自由な人もまた同じように「誰のせい
で私は・・・」という世界にとどまっていたのです。イエスの「だれのせいでもない
よ!」という語りかけは、因果応報の世界に今も尚とどまりつづけているすべての人
に届けられる「解放の宣言」です。
「因果」という言葉を小さい国語辞典で引くと、「原因と結果」と説明してあり
ます。原因と結果を知る事は私達にとって自然な欲求であり、ある面で非常に大切な
ことです。なぜお腹が痛いんだろう・・・、と考えてみたら「どうも、昨日食べたあ
れが怪しい」と気付いたりします。そこで私達は「これからは気を付けよう」と自ら
注意を喚起するのです。けれども、因果はしばしば私達を苦しめるのです。
もし私達が違う親から生まれていたら・‥、違う学校にいっていたら‥・、違う仕
事に就いていたら私の運命は変わっていたかもしれないのに、いったいだれのせい
で、一体誰が私の人生を狂わせてしまったのだろう‥・。「だれのせいで」という思
いの中で私達はしばしば出口を見失ってそこにとどまり続けるのです。しかし、イエ
スはそこから立ち上がって新たな歩みを始めるようにとお勧めになります。生まれつ
きの盲人が、イエスの勧めに従ってシロアムの池で目を洗った時に、彼は今まで観た
事の無い新しい世界を見たのです。私達も「だれのせい」という世界に留まっている
間は見えなかった世界が、イエスの勧めに従って生きていく時に見えてくるのです。
主は私に、特別に備えてくださった人生を歩ませておられます。その事に気付いた
ならば、「だれのせいで」という思いから解き放たれて、「今ここに生かされている
のは誰の恵みか」という感謝に変えられていくのです。詩篇22編10節は次のようにそ
の信仰を告白しています。「私は生まれたときから、あなたにゆだねられました。母
の胎を出てからこのかた、あなたは私の神でいらせられました」。神様は確かに私が
生まれる前から私に関わってくださり、今も共に歩んで下さっています。
◇証し
「子どもの心のひきだし」
斎藤美津栄
地域の小学校3年生の授業に講師として参加した時のお話です。
小学校3年生といえば、自我が芽生え、自己主張をしたがる年代。2005年冬に1回
目、2006年秋に2回目。多分総合学習の取り組みとして、3年生は障がい者との交流
とか、講演などが課題なのではないでしょうか。少し大きめの教室に2組、合同で全
員が床に座ってのお話。人前で話す事が苦手でもない私ですが、床に座って前後が
くっついていると、人の話なんか聞けず、つつき合ったり、内緒話をしたい‥。いつ
の間にか大声で話したがり、が関の山。
少々の緊張がありましたが、私が主宰する子どもクラブ(知的障がいを持つ子の学
童クラブ。小学生から高校生まで参加)の手話コーラスのビデオから始めました。皆
さんが良く知っている、「おどるポンポコリン」や「世界に一つだけの花」、「ビ
リーブ」、「小さな世界」、などおなじみの曲ですが、手話コーラスは言葉の発声の
困難な子ども達の活き活きとした姿を映し出していました。あのギヤングエイジの子
ども達は私語も無く、吸い寄せられるように見入っていました。その後、しゃがれた
声の私の「障がいを持って生きるとは」の話にも食い入るように耳を傾けてくれまし
た。
最後の質問コーナーでは、
Q.おばちゃんの声は病気でそうなったんですか?
A. 事故の後遺症だと思います。辛かったり、苦しかったりすると、心が開かず、誰
とも話したくなくなったりするのかも知れませんね。今日は勇気を振り絞ってカツコ
悪いけど、この声でお話しています。
Q. 今一番辛い事はなんですか?
A. 私は、こんな私でも神様が作ってくださった作品として、神様の世界が、この地
球いっぱいに広がる事をお祈りしながら、働いていきたいと思っています。夢いっぱ
いで、辛い事はありません。
Q.今の僕に出来る事はなんですか?
A. 人には必ずピカッと光るところがありますし、嫌なところも持ち合わせています
が、それを認め合う事、そして困っている人がいたら、「何かお手伝いする事ありま
せんか?」と声をかけてみませんか?
◇「まなざしネットオフミーティング」報告
さる3月26日(月)~27日(火)名古屋キリスト教会において「まなざしネットオフミー
ティング」が行われました。
開会礼拝では内田委員長から「イエスさまは自分の十字架を背負って、私に従いな
さいと言われる。私達の委員会も『障害』を抱えたひとりひとりに寄り添っていく働
きをしていきたい」とお話していただきました。
午後7時からはパネルディスカッションを行いました。内田章二委員長、理加子姉
『車椅子利用者の視点で』綾塚委員『視覚障害者の視点で』斎藤委員『知的障害者
と守る礼拝』塩山委員『聴覚障害者と礼拝を共にする為に』とそれぞれ発題をしてい
ただきました。
発題の中では、実際の現場の視点から「障害を持っている人には障害にばかり目を
向けてしまうが、まずひとりの人として出会ってもらいたい」また、「障害を持った皆さん
が、教会で活き活きと働けるものとされていきたい」などのコメントをいただきました。
質疑応答では「心の病をどう受けとめるのか」との質問をいただき、委員会の今後の
課題として取り組んでいく事を確認しました。
夜の集会には、中部地区の諸教会方の参加者も合わせて20名の方々が参加して下さ
いました。 27日(火)は午前9時から「提唱と活動報告」を持ちました。名古屋教会の池
田巍義牧師から名古屋キリスト教社会館の紹介をして頂きました。名古屋キリスト教社
会館は1959年の伊勢湾台風時の救援活動から始まった活動です。障害者に留まらず、
域福祉の問題を取り扱っている働きとのことでした。
今回、委員会としては中部地区での初めての集いでしたが、新しい方々との出会い
も与えられ、祝福された時でした。
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